ケン様 2004年9月23日、ディファ有明で行われた東西対抗戦の第二部、西軍「ブサイクの祭典(1人を除く)」にて小橋軍と秋山軍の対抗戦が行われた。これに際し負けたチームのリーダーが罰ゲームとして「自腹でファン5名に夕食をご馳走する」ことと、「ペ・ヨンジュンのコスプレ」が秋山の提案により課されていた。最後には小橋対秋山という大将戦までもつれ込むが、場外乱闘の後秋山は橋誠を投げつけて小橋のリングインを阻み、場外カウント勝ちを収めた。憮然とした表情で小橋は控え室に引き上げる中、リング上で秋山は秋山らしく女性が出るまで何度もくじを引き直して5名を選出、場つなぎで橋にマツケンサンバ IIを躍らせると遂に準備が完了する。あの曲が鳴り響く中、かつらにメガネ、セーター、マフラーとフル装備のケン様が笑顔で登場する。「アニョハセヨ」と韓国語で挨拶しポーズをとり、「もう一人ゲストが居ます! ユジン!」と似ても似つかぬ杉浦貴を招き入れた。再び二人でポーズをとると、空から粉雪のような紙ふぶきが舞い落ちてきた。すると突然スギンが暴走しケン様の唇を奪おうと強引に迫って来る。貞操の危機を感じたケン様は渾身のチョップを叩き込み、力でスギンをなだめ、二人は幸せそうに花道を引き上げていった。なお、これを見た秋山は「思ったとおりだね。感無量ですよ」、「ドーム以上の借りを返せた。次はクリスマスでコバケンサンバだ」と発言している。 剛腕(豪腕)大魔王格安航空券 国内 2004年12月24日、ディファ有明で行われたクリスマス興行において、毎年お約束と化していた日テレ製作(前年まではFIGHTING TV サムライ製作)の特別映像作品「ディファ有明戦隊ノアレンジャー」の中で登場したキャラクターの一人である。セーラー服に身をつつみ、美しい長髪をなびかせるタモみに「おじちゃんとあそぼうか」と突如襲ってきた人物こそ剛腕大魔王その人である。しかし、三沢を中心としたやたらと多い「30人揃ってちょっとモッコリ、ディファ有明戦隊ノアレンジャー」に邪魔をされる。地力の違いで一気に27人を片付け残り3人としたが、ここでホワイトレンジャーがタモみのサラサラヘアーをなびかせた。「俺がやりたかったのにー」と気を取られている隙に、ある曲聴くと無性に踊りたくなる「スターネスサンバ」を受け敗れてしまった。上述の東西対抗戦にて試合後秋山が語っていた「クリスマスは躍らせる」という流れに上手く持っていったのだが、小橋は剛腕にモノを言わせ無理やり橋に踊らせた。全試合終了後、ノアレンジャーの姿のまま選手一人ひとりが挨拶を行う中、秋山は「ワシントンホテルで小橋が1人で泊まってます。よろしくお願いします」と発言し、小橋は「剛腕大魔王です。こんな格好で言うのも何ですでけど、今年1年どうもありがとうございました。来年もプロレス道へまい進していきます。よろしくお願いします」と大会を締めた。 9 備考夜行バス クラブの概要 1996年にJリーグ準会員に承認され、1998年にJリーグ加盟。前身は東芝サッカー部。ホームタウンは北海道札幌市。ホームスタジアムは札幌ドームと札幌厚別公園競技場(以下「厚別競技場」)。加えて年に1ないし2試合ずつを入江運動公園陸上競技場(室蘭市)、千代台公園陸上競技場(函館市)で行う。主な練習場は宮の沢白い恋人サッカー場で、札幌ドーム・屋外サッカーグラウンドなども用いられる。球団事務所は札幌ドームの敷地内にある(同一施設内にプロ野球・北海道日本ハムファイターズ球団事務所も入居)。チーム名の「こんさどーれ(Consaole)」は公募で決定したもので、「どさんこ」の逆さ読みに、ラテン風の「オーレ」(-ole)を組み合わせたもの。 クラブ名変遷 1935年 ~ 東芝堀川町サッカー部高速バス 1980年 ~ 東芝サッカー部 1996年 ~ 北海道フットボールクラブ(略称 HFC)・コンサドーレ札幌 主要本拠地の遍歴 JFLにいた1995年までは主として、川崎市等々力陸上競技場など神奈川県各地を中心として開催。 1996年〜97年 厚別競技場へ移転したが、屋外スタジアムであるため積雪が残る4月までは本州各地で地方遠征を行う。 1998年(Jリーグ参戦) 第1ステージ前半は厚別競技場が積雪と改修工事(芝生席の座席化)に伴って6月まで使えず、室蘭市入江運動公園陸上競技場をメインに使用(3月のナイターは仙台スタジアムで主催)。7月以後厚別で開催。 1999年〜2000年 3月〜4月は積雪のため厚別競技場が使えないので室蘭を中心に主催。5月以後は厚別競技場で開催。 2001年以後 札幌ドーム・厚別競技場併用開始。原則として、積雪時(春季と秋季)、平日ナイターは札幌ドーム、夏季の週末デーゲームは厚別競技場を使うが、2004年は運営予算の関係上、厚別競技場での試合をメインとし札幌ドームでは8試合に留まった。しかしその後はホームゲームの半数程度を開催するようになった。ただこの年から北海道日本ハムファイターズが札幌ドームをホームゲームの主会場とするようになったため、平日ナイターを札幌ドームで行えない事例(特に夏季〜秋季)もある。 ※#道外での公式戦主催を併せて参照夜行バス チームカラー GK 3r チームカラーは赤(暖かい炎=ファイティングスピリットの象徴)、黒(北海道の大地=無限大のパワーを象徴)、白(シマフクロウ(マスコット)・雪=フェアプレイ精神の象徴)、ブルーグレー(針葉樹林の茂る深い森=冷静な判断力の象徴)である。また赤と黒は、実業団チーム時代の母体・東芝のコーポレートカラーであり、東芝サッカー部時代からのチームカラーの名残り、すなわち伝統の象徴でもある。 東芝サッカー部のユニフォームを赤と黒の縦縞に変更させたのは、当時チームに在籍していた現監督の石崎信弘であり、石崎が好きなACミランにあやかった[1]。これはコンサドーレ札幌となってからも引き継がれた(前身も参照)。 1997年と1998年のホームユニフォームでは、赤と黒の縦縞を基調にブルーグレーも使われた。SEO対策 ユニフォームの「赤黒縦縞」に対するサポーターの思いは強く、縦縞模様が簡略化された2003年からデザインに対する批判が出始め、2005年のデザイン変更(正面は赤一色、背面は赤ベースに黒の三本線)で不満が爆発。一部サポーターがクラブに対して抗議を行い、ゴール裏には「札幌って赤だっけ?」等の横断幕が掲出される事態となった。2006年にはサプライヤーが変更となり、赤黒縦縞も復活した。 ユニフォームスポンサー 下部組織 コンサドーレ札幌ユース・U-18、コンサドーレ札幌ユース・U-15 コンサドーレ旭川ユース・U-15、コンサドーレ札幌ユース・U-12 長期的視点に立った強化計画の一環として、下部組織の充実に力を入れている。財政の緊縮化を図った2004年度においても下部組織の予算は前年比で据え置かれている。また、さらなる才能の発掘を目指し、旭川にもコンサドーレ旭川ユース・U-15のチームを置いている。将来的には主要都市にユースチームを置くことも計画している。 コンサドーレ札幌ユース・U-15は2002年と2003年の高円宮杯全日本ユースサッカー選手権(U-15)大会でそれぞれ準優勝するなど、着々と進歩を続けている。 主な大会結果 コンサドーレ札幌ユース・U-18 2001年(平成13年) 日本クラブユースサッカー選手権 (U-18)大会『準優勝』 2005年(平成17年) 高円宮杯全日本ユースサッカー選手権 (U-18)大会『準優勝』 コンサドーレ札幌ユース・U-15バリ 2002年(平成14年) 高円宮杯全日本ユースサッカー選手権(U-15)大会『準優勝』 2003年(平成15年) 高円宮杯全日本ユースサッカー選手権(U-15)大会『準優勝』 2008年(平成20年) 高円宮杯全日本ユースサッカー選手権(U-15)大会『ベスト4』 沖縄旅行 レンタカー マスコット 北海道に生息するシマフクロウがモチーフのマスコット『ドーレくん』。チーム名のイニシャル「CS」が白い文字で入った赤いシャツと黒いパンツを着用しているが、2006年シーズンからは時折レプリカユニフォームを着用して登場している。特技はダンス(主にコンサドールズと踊る)と側転。2006年シーズンから持ちネタが増え、電動キックスケーターに乗ってのピッチ一周や、巨大ボールを使用しての一人PK戦(自分でボールを蹴って、走ってボールを追い越し、正面からボールキャッチ)をハーフタイム時に披露。